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2012年1月

2012年1月31日 (火)

虹の女神

一昨日、「太陽の女神」の記事を書いたので、今日は「虹の女神」(2006年公開)。

3つの理由から忘れがたい名作。

ひとつめ。

それは、僕の住んでいる足利市がロケに使われたこと。

全てのシーンが足利ではないけれど、主人公が働いていたレコード店(今はない)や劇中劇の8mm映画の公園、ラストシーンの土手・・・・

ア、ここ知ってるっていう場所がいろいろ登場するので、足利市民としては誇らしくなる映画です。

ふたつめは、言うまでもなく映画の内容。

兎にも角にも、主人公の上野樹里の演技が素晴らしく、市原隼人、蒼井優、相田翔子、佐々木蔵之介、小日向文世・・・そうそうたるメンバーの演技も印象的。

心に沁みる、もの悲しく、切ないストーリー。まだ見てない方はお試しあれ。「のだめ」や「江」と違った上野樹里に出逢えます。

みっつめ。

映画で象徴的なモチーフとして取り上げられた、水平に走る虹。

映画ではCGだったけど、実は僕、見たんです。本物を!!

’09年の7月に息子と行った白馬岳付近で。

実に幻想的でした。水平の虹は正式には「環水平アーク」というそうです。

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2012年1月29日 (日)

夜と呼ぶには早すぎて

 Img_0276_5 赤いカードの丸井がお贈りする「丸井ミュージック&モア」・・・夜と呼ぶには早すぎて・・・

女性パーソナリティーの低めの声。感情を殺したクールなナレーションで始まるラジオ番組があった。

1970年代、僕が二十歳の頃だ。2人1部屋の大学寮、ウィークデイの夕方6時、ラジオからこの番組のテーマ曲が流れてくると、忽ちむさ苦しい部屋が、一転「都会」に変わる。

大都会東京にいるんだという高揚感そして孤独感。ずっと、大人の世界に憧れていた、そんな年頃だった。

オープニングのテーマ曲は、ラムゼイ・ルイスの「太陽の女神」という tune 。リズムギターのカッティングソロで始まり、ラムゼイのフェンダーローズピアノ、ファルセットの男性コーラスが印象的な佳曲である。

この番組では毎日曲を2曲流す。同じスタンダード曲を異なる2つの演奏者で聞かせるのが特徴であったように覚えている。

例えば、「Body And Soul」 だったら、カーメン・マクレエ と ジム・ホール を聞かせるみたいな・・・

この番組から、JAZZの概念を学べたような気がする。プレイヤーやアレンジが違うと、同じ曲が別物に化ける。面白いと思った。

JAZZが堪らなく好きだった僕の多感な青年期。今の時代より、絶対、豊かな音楽環境だったなあ。マイルスも現役だったものなあ・・・・・

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2012年1月13日 (金)

施主の挨拶

本日は、お寒い中お越し頂き、有り難うございます。

5日前、去る、1月8日。父は、長崎市グラバー邸近くのホテルで突然息を引き取りました。

私の16才の息子との2人旅、その日に帰るはずだった早朝5時、心筋梗塞でした。

病院に救急搬送されましたが、もはや、息はなかったようです。

長崎は、宗夫の父:厚のふるさと。厚もやはり歯医者で、戦前、長崎は諫早から足利に移り住んできたと聞いております。

今回の孫との2人旅は、墓参りを兼ねたもので、きっと、父にとって本当に楽しい旅行だったに違いありません。

父は、三度の飯より麻雀が好きでした。

命日となった1月8日は、1と8でインパチ。何とも、父らしい、覚えやすい命日と思います。

親のハネマン、インパチでハコテン、ドボン。ハンチャンの終了でございます。

そして、次のハンチャンは、私の親で始まります。

出来るだけ永く親を続け、この家を守って行く所存です。

生前は、父親が大変お世話になりました。これからも、私ども遺族に対し、ご厚情賜れば、幸いに存じます。

本日は、誠に有り難うございました。

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2012年1月 6日 (金)

飼い猫が死んだ

今日夕刻、飼っていた猫が死んでしまった。

名前は、「びー」。

ブリジット・バルドーにあやかって「BB(ベベ)」と名付けたが、呼びづらいので、いつの間にか「びー」になっていた。

知り合いが我が家に連れ込んでから、20年。

当時、僕はまだひとり者。女房より長い付き合いだ。

緑色の瞳がきれいな雌猫。雑種だが見た目はシャム猫。昔は可愛い子猫だった。

爪研ぎが大好きで、壁紙はメチャメチャ、木製のドアも傷だらけ。

毛繕いが大好きで、毛玉を吐いては、日々床を汚す。

気性の激しい猫だった。

最近は、目も見えず、音も聞こえず、痩せ衰え、ビッコをひいていた。

半年前から、トイレがうまく出来ず、部屋の中は彼女の小水の匂いでたまらなく、邪険にしていたことも事実。おばあさんになっただけなのにね。

ごめんよ、びー。

明日、お墓をつくってやるからね。

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2012年1月 3日 (火)

志ん輔で初泣き

「初笑い」という言葉はあるが、「初泣き」はないようだ。じゃあ、「泣きぞめ」か?

今年になって、初めて泣いた。

今朝、BS-TBS で落語番組をやっていて、古今亭志ん輔の「子別れ」で泣いてしまったのだ。

人情話の大ネタで、上・中・下に分かれているそうだ。

落語に詳しいくないので分からないが、志ん輔は、全部繋げてやって見せたのだと思う。

前半は、がらっぱちな酔っぱらいの熊五郎で大いに笑い、饅頭屋の店先で、湯気を出している饅頭を見て、それが大好物だった息子を想い出すシーンにホロリとさせられてから、大団円まで親子の情の機微に涙が溢れた。

ただひとつ、テレビを父親と一緒に見ていたのが、残念だった。

自分の子どもたちには平気で涙を見せられるのだが、オヤジにだけは見られたくない。妙なものである。

志ん輔の落語をまともに聞くのは、これが初めて。

子どもたちが幼い頃、「おかあさんといっしょ」に「志ん輔ショー」というコーナーがあった。

ヘビ君とブタ君というマペットが面白かった。僕の中では、「シンスケお兄さん」のままであったが、しばらく見ないウチにオジサンになってしまったなあ。人のことは言えないが・・・

この雑文を書く前に、師匠である志ん朝の「子別れ」をYouTubeで聴いたが、志ん輔の方がうまいんじゃないの?

比べて聴くと、志ん朝には育ちの良さみたいなものが出てしまって、気性の荒そうな大工の熊五郎になりきれないような感じを受けた。

しかし、今の人は、糸巻きなんかの仕草が分かるんだろうか?

僕は小さい頃、糸ではないが、毛糸の玉を作るというので、母親に糸巻きの手伝いをよくさせられた。この情景が分からないと、熊五郎から内緒でもらった50銭を金坊がポトリと落としてしまうところが目に浮かんで来ないんじゃないのかなあ・・・

話の中に出てくる「ショウセコ様」が加藤清正であることを調べたりして、三が日の最終日は、「子別れ」に関するネットサーフィンで使い果たしてしまった。

明日から仕事です。

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