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2011年7月 3日 (日)

今さらながら「女たちよ!」

宇都宮の本屋で、「わ!懐かしい!!」 

伊丹十三のこの本、まだ出てるんだ。でも、昔のとチョット違う。30年以上前に手にしたのは文春文庫だった。新しいのは新潮文庫の出版。昔のを失してしまったので、買い求めた。

僕が20歳の頃、憧れのマドンナだった同級生のエリちゃんが「この本面白いよ」って教えてくれた本だ。

約100編のエッセイ集。30年ぶりに読み返して、「スパゲッティのおいしい召し上がり方」、「鬚を剃った魚の話」、「急ぎの虫」等々、内容を鮮明に覚えているものも数多くあった。

読みながら、ニンマリしたり、アハハと笑ったり、ウームと唸ったり、楽しい時間を過ごせた。

単行本の発行が昭和43年ということである。伊丹は35歳! 30代にしてこの教養、筆力、まさに鬼才。つくづく、惜しい人を亡くしたと思う。

本物の素晴らしさを語りながら、日本人の感性の貧しさを重ね重ね嘆くところは、今となっては鼻に付くが、時代がやっと伊丹に追いついたのかなあ。

30年前には、考えられないことである。栃木の我が家の冷蔵庫にも、本書で紹介されている「パルミジャーノ」の塊が常備されているし、東京の紀ノ国屋にしかおいていなかったような「クレソン」だって手に入る。今では、何処のレストランに行ってもパスタのアルデンテは当たり前。逆にマーガリン入りのネットリした甘い「ナポリタン」が懐かしい。

伊丹曰く、「瓶入りのサラダ・ドレッシングというものがある。フランス人が聞いたらきっと腹を立てるだろう。サラダを作るにあたって、ドレッシングを自分で作らないとするなら、その人のすることはなにもないではないか。・・・・」

「外国人というのは・・・  料理を出す何分か前になると無意識にお皿を暖めるだんどりを始める。私の経験では日本の主婦はこの点概してずぼらであるようだね。・・・」、曰く「料理人は片付けながら仕事をする」

今、僕が普段当たり前だと思うことが、書かれていた。遅ればせながら、僕も少しだけ彼に追いつけたのかなあ・・・・

僕のワインの師匠、オーウラさんが言っていた。「何が悲しいかって、一日に食事が3回しかないのが悲しい。3回のウチ1回でも粗末に出来ないよね!」

至言である。冷蔵庫に、女房が買ってきた瓶入りのドレッシングを見つけるたびに、口論の絶えない我が家です。

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