マルパソは最高
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話題の本で、書店で平積みになっていた。初版が半年ほど前。まさに「予言の書」である。
我が家では、私が一番、原発事故を怖がっている。これを読んだら、ますます怖ろしくなってしまった。「正しく怖がるのは難しい」というが、私は、どうなんだろうか。
「片方聞いて沙汰するな」ともいうが、この惨状を鑑みれば、原発推進派の弁明は受け入れられそうにない。
本書で、使用済み核燃料の最終処理がうまくいかないことを知って、戦慄を覚えた。
しかし、この期に及んでも、原発反対の声が高まらないのは、どういう訳なんだろう。
この国のエネルギー政策を転換させるには、いつものとおり外国からの圧力しかないのか?
IAEA あたりから、「地球の環境汚染は許されない。地震国日本は、原発を撤廃すべし」なんて勧告を出してもらえないかなあ。国民として情けないけど・・・・
パンドラの箱の底には、希望の光が残っていた。
箱の蓋を開けてしまった日本。ていたらくな政府に希望の光は見いだせない。またしても、最後の望みは、「外圧」という黒船だけなんだろうか。
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以前から是非一度見たいと思っていた、日本三大桜の一つ、福島県三春町の滝桜。
昨日の、NHK「あさイチ」で紹介されていたのを観て、行くことにしました。
第一原発から50キロ。原発事故の影響で客足が10分の1になっているとか。行かねば!何だか、桜に呼ばれているような気がした。
正午に出て、2時半頃到着。桜まで2キロぐらいの地点から、渋滞になったので、河川敷の駐車場に車をとめて歩くことに。
周りは、とてもよく整備されていて、地元の方々が、いかに、この桜を誇りにして、大事にされているかが伝わってくる。
静かで、のんびりした気分になれました。三春町は、その名の通り、春がいっぱい。それはそれは美しい町でした。
みちのくの春は短く、ツクシも木蓮も、桜と同じ時期に一斉に花開くんですね。
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17日、東電が原発事故収束に向けての工程表を発表した。住民の不安を解消する意味では、一歩前進と評価される。
ただ、懸念材料がまた一つ増えた。
原発で一ヶ月以上、修羅場で作業にあたっている、人のことである。
東電の下請け、孫請けの「協力会社」と称されてる社員のことが、特に気に掛かる。
お得意先の東電に楯突くこともかなわず、命を賭して任務にあたる、その胸の内はいかばかりか。
現場の東電職員も同じであろうが、不安や恐怖を目の前にして、人の気持ちや覚悟は、それほど長期間維持できるものではない。
怖いだろうに、逃げ出したいだろうに。
身の危険を顧みず、原子炉の暴走阻止のため、現場に留まり続ける職員を「最後の砦の50人」と賞賛した記事が、海外メディアで書かれたという。とんでもない。美談で済むレベルではないのだ。
誰もが事故の早期収束を望んでいる。そのためには、誰かが立ち向かわなくてはならない。でも、障害が多すぎて、タイムスケジュールどおりに進捗するとは限らない。
すぐに、特攻精神とかを持ち出してしまう、そんな土壌が、この国にはあるから、この半年間を心配する。
どう間違っても、最初に工程表ありきで、命を軽んじ作業を押し進めてはならない。
東電を、ひとり悪者にしている集団ヒステリーの中だからこそ、マスコミは彼等の人権を守るためにも、彼等に目を向ける報道をもっとすべきだと思う。
今も過酷な現場で奔走している彼等の安全を心から祈らずにはいられない。
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パステルカラーに彩られ、里山が一斉に笑い出した。春は一年で一番美しい季節。
鑁阿寺(ばんなじ)の大銀杏は、樹齢約550年とのこと。今年も芽を吹いてくれた。
若葉の芽吹きからは、桜の花以上に命の歓びを感じる。
花を咲かせることは、植物にとって、最終の仕事で、萌芽や芽吹きは、新しい命の始まりを意味すると思うから。
冬の長い眠りから目覚め、堅い蕾をポーンと弾く。
赤子の掌のような葉が、兄弟達と競いあい一気に伸びを始める。
溢れんばかりの生命力だ。
人間が出現する遙か前、何億年もの昔、地球上に生まれた裸子植物。その仲間の銀杏。
無論、銀杏は「プレートテクニクス」なんて知らないはずだが、そのDNAに、「パンゲア大陸」の記憶を留めているのかなあ。
彼等は、電気なんかなくても、何億年も命をつなぎ、今を生きている。
文明社会にとって、電気のない生活は考えられないが、余りにも電気に依存しすぎじゃなかろうか。
豊かさという幻想を求め、環境破壊をやめられないホモサピエンス。
地球温暖化、放射能汚染、銀杏の若葉は、迷惑そうな顔をしていた。
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「週刊現代」の読みすぎかなあ・・・ 不安な気持ちが収まりません。
4月7日から、ここしばらく大きな余震が続いています。昨日の地震では、第一原発の外部電源が50分間停止し、原子炉への放水作業が出来なかったという報道に、震撼としました。
予備電源が津波で流されて原発事故を生じたというのに、一ヶ月経っても命綱の予備電源が確保されていない事実に、不安が一層高まります。
今日になって、原発事故の深刻度が、チェルノブイリ同等最悪の「レベル7」に引き上げられました。
25年前のこと、チェルノブイリ事故は、日本から遠い地での出来事としてとらえてた。
ヨーロッパ全土が放射能に汚染されたというニュースを見て、「イタリア産のトマトの缶詰やパスタは、ちぇるのってるから買わない方がいいよ」なんて会話したのを覚えています。実際、国内でのパスタの流通は激減したと記憶しております。
ロシアやイタリアの皆さん、ごめんなさい。今になって反省してます。
日本政府にお願いします。農産物や魚介類の放射能測定に、粉骨砕身し、生産者と消費者を守ってください。今後、数年間は、食品の流通が大きく変わることが予想されます。米も、野菜も、魚も3.11以前には戻れなくなるでしょう。国には、食の安全性を誠意を持って保証してもらいたいです。
そして、今、一番欲しいのは、「一号機の水素爆発は絶対に起こらない」という信頼ある筋からの言葉です。また、「ようやく原子炉の冷温停止を確認しました」の発表です。
日々怯えながら、刑の執行を待つ死刑囚のような心境に、私たちは耐えられなくなってきています。
「いつ死んでも良いように、今日の日を悔いなく精一杯生きよう」なんてことは、とうてい無理な話であると気が付きました。明日という日の担保があるから、人は生きていけるのだと思います。
また、今日のニュースで辛く思ったのは、危険だとされる原発30キロ圏内の賃貸住宅を求めて、避難所から人々が殺到している記事でした。避難しろ、待避しろと言われても、一つしかない「ふるさと」をそう簡単に捨てられるはずはありません。
「ふるさと」が地図から消えてしまうかも知れないという絶望感は、想像を超えたところにあります。
うつくしい「日本の国」を返せ!
左は、去年撮った、私のふるさとの桜です。
昨年と同じ穏やかな心で、満開の桜を見上げられるのは、あと何年先のことになるのでしょうか・・・・
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個人的に、この時期恒例のお花見ジョギング。約一時間のコースです。
今日は、高3の長男が付き合ってくれました。
まず、鑁阿寺(ばんなじ)のお濠からスタートです。
今日は、ようやく人出もありました。
寺を出て、けやき小学校の桜を愛で、本城3丁目から織姫山へ急な坂道で汗をかき
織姫神社から、229段の階段をおりて・・・
旧西小学校の桜を眺め、
常念寺保育園から、足利公園へ
こちらの方が、絢爛豪華な染井吉野より、慎ましやかな大人の女性のようで好きです。
森高千里の歌で有名な「渡瀬橋」です。
橋の奥に女浅間山の桜が見えます。
橋のフォルムとしては、渡瀬橋より、ひとつ東にある中橋の方が、より美しいです。
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ワインの師匠のオーウラさんが、これおいしいよって奨めてくれたカリフォルニアワイン。
瓶がでかくて高級感があります。
値段の点で、デイリーとはいかないけれど、毎日でも飲みたいワインです。
春や秋なら常温よりチョット冷えた程度が、よろしいようです。
オー・ボン・クリマのシャルドネ。買い置きが、手元にないと落ち着ません。クリーミーな味わいの虜になってしまいました。
女房は、いつでも塩に臆病であるから。
でも、アンチョビとキャベツのパスタの時は、茹でる時の塩を3分の2ぐらいにしないと、アンチョビの塩がきつすぎて失敗するので注意です。
パスタは段取りです。
茹でたてをソースにからめ、湯煎した皿に盛りつけ、食べ始めるまで一秒も無駄にしない緊張感が、とてもスリリング。
まるで、ジェットコースターのようです。
写真を撮ってる場合じゃない。急いで食べようっと。
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避難所のラジオから流れた「アンパンマン」で、子供が笑顔。それを見た大人にも微笑みが。そんな理由で、ラジオ局では最近まで、子供向きの曲を多く流していた。
無邪気で元気な子供の姿ほど、大人を勇気づけてくれるものはないだろう。
一方、「元気のでる曲を特集してお送りしてます」なんてこともやっているけれど、この惨禍を前にして、音楽では、なかなか、そう簡単に気分が明るくなったりなれないものだ。
唄は、人の心の増幅装置である。こんな時には、むしろ、涙を流しきれる曲の方が効果的かも知れない。
この間、ラジオで、吉田拓郎の「どうしてこんなに悲しいんだろう」がかかった。涙がとめどなく流れてきた。
「悲しいだろう みんな同じさ おんなじ夜を むかえてる・・・」 15,16才の頃、ギターを抱え友人達と歌った曲だ。吉田拓郎の歌声には、心に沁みるものがあると、今、改めて感じている。
「人間なんてララーラ ララララーラ・・・・」 明けない夜はないって言うけれど、長い夜になりそうだなあ。涙を出し切って、明日に備えるとしよう。
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